ノイドルファーについて

古いメモリーを整理しているとノイドルファーが80年代後半に小田原に教えに来ていた頃の写真が出てきた。ついこの間までCさんが昔単独で呼んだのだと思い込んでいたのだが、それは物事を一方向から眺めた見方であることがわかり思わず笑ってしまった。この物語にはNさんと弓製作者の笹野さんが大きく関わっているのだが仔細はともかく、ノイドルファーが日本の弓作りに与えた影響と、先輩達が物作りの夢を抱き実際に行動に移したことに深い感謝と尊敬の念を覚える。ノイドルファーが日本に来ていなければ自分は弓に関わる仕事をしていなかっただろうし、日本の弓メーカーも今とは異なる在りようであっただろう。
機械で製材した半加工の弓を既製品のフロッグに合わせて削り仕上げる、これを一日12本やるというのが、彼が職人達に求めたノルマである。圧倒的なスピードである。ヴィニェロンの完全手工で1日一本というのも驚異的なスピードであるが、半加工からの12本もなかなかのスピードであり、誰でもすぐに出来るというものではない。圧倒的な数を作っており、作りは大雑把な物もあるが道具としてはちゃんとしていて、ノイドルファーの弓は弾きやすいものが多い。機械は工程を理解した人が使う分には鑿や鉋と何ら変わりがない。かつてのヒル商会でもレッドフォードの時代には旋盤加工を取り入れており、バザンの工房でも旋盤を入れてやっていた時代がある。当時市場に大量に出回っていたドイツ製の量産品に押されてのことではあるが、新しい技術や弓作りの考え方の違いが職人心に火をつけて、やってみようと思ったのだろう。
ドイツ式では一旦全てのスティックを丸く削るところから始める。旋盤などの電動機械が使われ始める前から、鉋でスティックを丸くしていたというからこれは哲学の違いと言える。丸く削ったスティックを熱で曲げて木材が捻じれたりする木の狂いを出し切ってしまってから八角に削ってフロッグを合わせるやり方である。以前譲っていただいたドイツ式に丸棒加工された古い弓材を引っ張り出して5本程、ロットで削ってみると何とも懐かしい感覚である。1日13時間ワークベンチに向かって弓作りをしたというかつてのフランス人や機械を駆使するドイツ人と同じように量産をしたいとは思わないが、昔のメーカーのようにある程度数を作らないと見えない景色があるのだと思う。


